わたしが、
自分の出した結果を見て、
ダメだとか良いだとか
いちいち自らをジャッジしなくてはいられないのは、
「自分という存在を、ダメだと思っていることを認める」のが
すごく怖いからだ。
それを認めたくないため、
わざわざある条件をつくって、
それをクリアすることで、
自分の尊厳を保っている。
ここまで結果を出せればOK、
ここまで結果を出せなければダメの烙印。
こんな具合に。
しかもOKのハードルは、
自分をダメだと感じている不安を払拭できるくらい高くなければならず、
失敗をしようものなら「人間失格!」
くらいの勢いになっちゃっているので、
なにかに挑戦するとなると
もの凄く気が重くなる。(←このメカニズム、普段は意識にあがっていない)
このジャッジ行為は、自分を保つ安定剤のようなもの。
しかも、良いの価値基準とダメの価値基準は、
よくよく分析してみると
幼い頃取り入れた親の価値観。
・・・笑える。
そもそも、なぜ自分をダメだと信じているのか?
を冷静に考えていくと
「確固たる理由はない!」
という答えに行き着くことがわかってきた。
正体がない恐怖だから、
わかりやすい "結果" を使って判断することで、
安心しようとしてしまうのだ、きっと。
だから、その時々の結果次第で、
ダメだったりダメじゃなかったりして、
自分に翻弄される。
今日の内観はここまで(*´꒳`*)