カテゴリ: 思想

今日ふと感じたこと☺️


あれからスポーツセンターに到着して、
プールゾーンに入場しようとしたところ、
ロビーにあったアイスの自販機が
まっすぐに飛び込んできたんです!(๑°ㅁ°๑)‼✧

ダイエットのために来てるんだよなあ?
という思考が一瞬過ぎりましたが、
・・・食べました(笑)
チョコとナッツたっぷりのやつ!(*´艸`)



それでね、
アイスを食べていたら、
なんだかとーっても満たされて✨

ああ、これ
幼い頃の自分と繋がってるー!
と、ふと感じたんです❣️

・・・で、おそらく子供時代に
あっさりとはね退けられてしまった
(そして小さく傷付いた)
こういう小さな小さな欲求を
大事に掬い上げてゆこう、
わたしにはこういうのが必要なんだよな、
と思ったのでした(●´∀`●)



・・・話は変わって、
ドイツにいるお友達のフロリアンから送られてきた
ご飯の写真(*´艸`)

ローマ字で
"どんぶり焼き鳥チキン"
と書いてあります!


ん?

「焼き鳥チキン」て

なんだかおかしい気が…


焼き鳥。

または
ベイクドチキン。

または
こんがりてりやきチキン。←少々意訳。

ではありませんの?奥様…˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚


と、心のなかで呟きました…!!



しかし、"どんぶり"というものが
ドイツで普通に売っているとは!!
素晴らしい✨

アボカドと焼き鳥を組み合わせるところが
海外っぽいですね❣️


日本の食べ物を外国で発見すると
テンション上がります(*≧∀≦*)




夕方になると、
涼しくなってきますね✨


この時間を狙って夕食のお買い物へ…❤︎
風が気持ちいい〜!


梅雨の時期、
外に漂う匂いが好きです。

雨水に濡れて香り立つ土や木々と、
海から流れてくる微かな潮の匂い。

なんだか、とても懐かしい。。。


そうして香りに記憶を刺激されながら、
鉛色の空に流れる雲を眺めていると、
子どもの頃の記憶が甦ってきます。

夕暮れ時の公園にたったひとり。
でも何故だか寂しくない。
自然の神さまに守られているような
不思議な安堵感・・・


この不思議な感覚は、
わたしの "核"に在るものなのだと
時々感じることがあります。

普段は不安だらけですが(笑)
きっとニュートラルな自分は
これなんだろうな、と思うのです。

なるべくこの感覚に
繋がっていられるよう
クリアでいたい・・・!


それにしても、風が気持ちいいです(๑˃̵ᴗ˂̵)✨



わたしが、
自分の出した結果を見て、
ダメだとか良いだとか
いちいち自らをジャッジしなくてはいられないのは、

「自分という存在を、ダメだと思っていることを認める」のが
すごく怖いからだ。

それを認めたくないため、
わざわざある条件をつくって、
それをクリアすることで、
自分の尊厳を保っている。

ここまで結果を出せればOK、
ここまで結果を出せなければダメの烙印。
こんな具合に。

しかもOKのハードルは、
自分をダメだと感じている不安を払拭できるくらい高くなければならず、
失敗をしようものなら「人間失格!」
くらいの勢いになっちゃっているので、
なにかに挑戦するとなると
もの凄く気が重くなる。(←このメカニズム、普段は意識にあがっていない)

このジャッジ行為は、自分を保つ安定剤のようなもの。

しかも、良いの価値基準とダメの価値基準は、
よくよく分析してみると
幼い頃取り入れた親の価値観。
・・・笑える。


そもそも、なぜ自分をダメだと信じているのか?
を冷静に考えていくと
「確固たる理由はない!」
という答えに行き着くことがわかってきた。

正体がない恐怖だから、
わかりやすい "結果" を使って判断することで、
安心しようとしてしまうのだ、きっと。

だから、その時々の結果次第で、
ダメだったりダメじゃなかったりして、
自分に翻弄される。


今日の内観はここまで(*´꒳`*)



先週末から頭が異様に重く、
頭痛薬を手放せない日々が続いていました_:(´ཀ`」 ∠):


なんでかなー?と考えていたら
ハッと気づいたんです!

ああ、これは
決めるべき事柄をいくつも保留にしていて、
寝ている間もずっと考え続けてるからだ!
だから眠りが浅くなって
頭痛になるんだー!

と!!・:*+.(( °ω° ))/.:+


そんなわけで、
今日は一日がかりで、
悩んでいた事柄を思い付く限り
つぶして(決めて)いきました。


ハンドメイドフェスのレンタル備品のこと、
ディスプレイ、
材料の仕入れ先とその内容、
みんなにお願いすること、
タイムスケジュール、
などなど。


決め兼ねていることって、
実は大体の場合、ちゃんと答えは決まっているんです…

でも、何かしらネガティヴなことを考えて
止まってみたりしてしまう。

予算がかかり過ぎかも、とか
みんなに迷惑かけて嫌われちゃうかも、とか
こんなに膨らませておいて、失敗に終わるかも、とか、

これ、全部「〜かも」妄想🦆
そして、さんざん悩んでるフリしても、
わたしはいつも最初から決まっている答えを選び取る!


なんていうか・・・
無駄っスね!(๑・̑◡・̑๑)✨


わざと遠回りするのは
わたしの悪い癖。
もういい加減止めよう!
身体持たないしw

を再確認した出来事でした❤︎


お陰様で、やーっと少しずつ
頭が軽くなってきましたよー(*´꒳`*)

今夜は安眠できそうです☆










"傷や欠点が魅力になる"だなんて、
そんなの気休めだと
どこかで思っていた所があったけど、
「いやはや、本当にそうなんだなぁ」と
最近はよく思うようになった。

「魅力になる」とまではいかなくとも、
何かがうまく出来なかったり、
美しく整っていなかったり、
持っていなかったりすることを、
「"自分はダメなやつ"という証拠」にしない。

優と劣に分類せず、
ただ眺める。

それだけで何もかもが変わる。

生まれたときから受けてきた教育や価値観が覆る瞬間。

なんて楽に呼吸ができるんだろう。
最強だ!

大好きな方の作品を読んで、
魂を揺さぶられました。


いまだに
不安や自己否定や、
焦燥や嫉妬は、
わたしのみぞおちのすぐ下で渦巻いていて、
気を抜くとすぐに足を取られてしまいますが、


「やれるだけ、やってみよう。
とりあえずでいいから。
先のことは考えず、"いま"、
とことんやってみよう」。


彼女の魂に触れて、
そう思えました。


「〜する!」と心に決めることは、
"その決意の先に広がる未来"
を見るための
不思議なメガネをかけるようなもの。

"本気の意志力"を作動させると、
特になにもしなくとも、
世界は変化する。
 
それは、その決意に見合った新しい情報を
脳が認識するようになるから。


特別なことを起こさなくたって
奇跡は起こせる。

「いま生じた感情や出来事を、どう取り込むか」
それだけで世界はまるっと変わるのだ。


 

いま、ハンドメイドサイトで、
トンボカフェのお仕事中につける
エプロンを探していたところです(*´꒳`*)

もうね、作家さんのアイディアきらめく
素敵な作品が溢れていて、
見ていると幸せいっぱいになってしまいます!!(*≧∀≦*)

エプロン作家さん、ヘアバンド作家さん、
アクセサリー作家さん、ミニチュア作家さん、絵本作家さん、
多肉作家さん、プリザードフラワー作家さん・・・

可愛いものにときめく人、
エレガントなものにときめく人、
個性的なものにときめく人、
カッコイイものにときめく人・・・

創るのが大好きな人、
素敵なものを探すのが大好きな人、
応援するのが大好きな人、
育てることが大好きな人・・・

皆それぞれ
違った"好きなこと"や"得意なこと"があって、
そんな欠片がたくさん集まった
とてもカラフルな世界に
わたしたちは生きている。

誰かが与えたいと思うものを欲する人がいて、
お互いが嬉しくて!!

ここはなんて楽しい世界なんだろう✨と
感激してしまいます(*´꒳`*)


昨日道路で見掛けたうさちゃん!

こんな仮ガードレールを
思いつくってすごい!!

これを考え出した人は、
日常をワクワクさせる遊び心を
持っている方なんだろうなぁ(*´꒳`*)






さきほど
「素敵なライブのためなら海も渡るぞ!」
なんて書きましたが、

たった今、
わたしの最も敬愛するアーティストの公式サイトから、
「2017年ヨーロッパツアーが決まりました」というメールが届きました!!

彼らはここ数年ツアーをしていなくて、
昨夜調べたときにも
まだライブ情報は掲載されていなかったのに!
なんというタイミング!!

これは、行けってことですね(*≧∀≦*)!!

ツアーが始まる秋に向けて
いまから計画をたててゆきたいと思います!

めっちゃ楽しみー(≧∀≦)
そして、すごい!!

心からピコーンと思ったことは
叶う(絶好のタイミングで物事がうまく進む)ことを再確認!

宇宙というか、潜在意識のちからを感じずにはいられません❤︎✨





"たどり着いた今を信頼する"

それは決して難しいことではない
疑うことを止めればいいだけだ


今に身を沿わせ
今に身を委ねる
今を聴く


すべてはここにある


特技や興味に順位をつけようとすると
一位を取れない限り
それらを自分の素晴らしい才能として
受け取れない 
まるでなにもなかったことのようにして
自分を卑下し
現実以下に貶める

競うことをゲームのように楽しめるなら
それも良い

でも苦しいなら
止めればいいだけだ

世界は自分の映し鏡





まるで雪のよう

一年振りだね
ずっとずっと想っていたよ


今日はどこに行こう
なにをしよう


あの春飛び立ってから
ちょうど三年が経った

それまでのわたしは
保証を求めたばかりに不自由で
まるで生きていなかったな

だからぜんぶ手放した

その選択は死ぬほど怖かった

でも覚悟した
真に覚悟した

そしてこの目で捉えた
瞬きもせずに

『死ぬほど恐れていた
敵の正体は己』


今日はどこに行こう
なにをしよう

その気になれば
どこにだって行ける
なんだって出来る

誰でも

自由だ 
 




以前はちょっとしたきっかけで
ズキズキと疼いた傷が、
いつの間にか
もう痛んでいないことに気付きました。

時間は優しい。
本当に。

日陰に積もった硬い雪の塊を
太陽が少しずつ溶かし出すように、
時間はわたしの強張った感情を
僅かずつ、でも確かに溶かしてくれました。

今はただ、大好きだった人たちが
自分らしくのびのびと
幸せに生きている姿を思い描き、
巡り来る新しい出会いと、
変わらず傍に居てくれる人に感謝しています。


・・・ああ、春ですね(*´꒳`*)!!





「ダイエットするぞ!」と宣言した翌日から、
急に身体の調子が悪くなってしまいました。
昨日からずっとお腹が怪しくうごめいています。。。
どうやら風邪をひいたようです。

そのお陰で少し体重が落ちたので、
これって願いが叶っちゃったのかも、、、?!
なんて、思ったりしています!(-᷅_-᷄๑)…


話は変わって…
定期的にやってくるマイブームについての話です☆

最近は、
先週購入したウェッジウッドのお茶碗を皮切りに、
"食器ブーム"と、
"デスク周りの制作用具をバージョンアップさせるぞブーム"が
到来しています♪

こちらはフィンランドのブランド、
イッタラ(iittala)の"タイカ"シリーズ!
缶とコーヒーカップです。

高級感のあるブルーの色彩と
フクロウの不思議なイラストがすっごく好きで、
結婚してからやすちゃんとふたりで
少しずつ集めています♪

先ほど、
「タイカの缶を樹脂粘土保存ケースにしよう!」
と思いつき、クローゼットからひっぱり出してきました!


あとは、制作デスク用のティッシュケースが
なかったので、場所を取らない 
DUENDE(デュエンデ)の
縦型スチールティッシュケースを発注☆



他にも、スチールとウッドでできたこちらの
筆立て?も購入しました。
色々な道具がひとつにまとまってスッキリ!!✨
 

次は筆を洗う水入れ用に
素敵なグラスが欲しいなぁ。

ドイツのフッチェンロイター (HUTSCHEN REUTHER) というブランドの、
めっちゃくちゃ可愛くて、
できればこれを水入れに使いたかったのですが、
サイズが大き過ぎたので諦めました…残念( ;  ; )


クレイスイーツ制作を始めたとき、
とりあえずで買ってしまったものも多かったので、
ここからは、使う道具を自分がときめくようなものに
入れ替えていきたいと思います(*´꒳`*)♪

"目に入るもの全てが自分の好きなもの"
これが、わたしの目指すお家です☆

 
 

しみじみ感じることがある。

それは、
「自分は人が怖いんだな」
ということ。

日常のささいなことから
友人関係に至るまで
人と接することに対して
底知れぬ恐怖がある。


わたしは人が好きだ。
人との繋がりを心底求めている。

けれど、同時に恐怖を持っているから、
あるラインから先に進むことが
ずっと出来ずにいた。

アクセルとブレーキを同時に踏むような行動を取ると、
当たり前だが、現実が動かない。 


そんな私だったが、
最近なんとなく、
そこをクリアしてみようか、と
思うようになってきた。

「怖い 」という気持ちがわいた瞬間、
オートマティックにかかるブレーキを
この手で敢えて外してみる。

そんな新しい行動パターンを
恐る恐る試している。


春だし。

何か新しいことに挑戦するには
よいタイミング。


tumblr_nmhui8dPNw1u45id6o1_400
Photo:interashiro (mica ins.) 
Painting:k.a.n.a

今年に入ってから
不思議と歌が唄いたくなって、
なんとなく唄っているうちに、
歌について、長年感じていた違和感や、
行き詰まっていたことの正体・・・
そして、それを解決するための方法が
わかってしまいました!

まさかの・・・!!です(笑)
笑っちゃいます(笑)


探しても探しても答えが見つからない時は
答えを求めるのをやめて、
今やりたいことを楽しみながら
ただただその時を待つ。

そうすれば、準備が整ったとき
応えは自ずと降りてくるものなのだと
実感しました。


待つのって難しいです。
不安になるし、焦ってしまうし。
ずっとこのまま答えは見つからないのではないかと
怖くもなる。

"自分を信じる"って
そんな形も保証もないもの、
わたしには無理だよ!って
何度も思いました。


でも大丈夫です。
絶対に。

時は来ます。


・・・春になると、感性が覚醒されて
曲をつくりたくなるんです。

今年も作れたら良いな。


まずは、elfinの春の代表曲をお聴き下さい

■狐の嫁入り(soundcloud)

なにかを作る時って、

あの人に着けてもらうとしたら…
あの人に聴いてもらうとしたら…

そんな気持ちに
インスピレーションをもらうことが
たくさんあります。

(もちろん「わたしはこれが表現したい!」
という衝動が内側から溢れてくることも
ありますが。)

オーダーを頂くときも
その方のお写真を一目拝見するだけで
イメージが膨らんだり、
テンションがグワッと上ったりするんです!

わたしひとりでは描き出せないことが、
皆さんのおかげで描き出せています。

なので、ブログの文章や写真を含め、
わたしの表現を楽しみにして下さる皆さんには
いつも感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございます。
 

作るたびに、
新しい技術を1つ取り入れる、
若しくは、
作品をグレードアップさせるような何かを1つ取り入れる、

これが自分が制作をする上で、
心掛けていることです。


今、いちごのモチーフを作っているのですが、
いつかは試さなければと思いつつも、
先延ばしになっていた技法に
チャレンジしています!

先延ばしになっていたことをいざ実行してみると、
「ああ、だから先延ばしにしていたのか…」
と納得することがしばしば。

だって、実際やってみると
想像以上に大変(笑)

なかなかやれないことって、
大抵、手間がかかって、
面倒くさいことなんですよね(^_^;)
(または、トラウマや思い込みやらで、
恐怖が隠れている場合もありますが。)

わたしの潜在意識は、
それをちゃーんと知っているから
何かしらうまく理由をつけて
スルーしてたんだな、と
後々気付きます。

脳はなるべくエネルギーを消耗しないように
色々なことを手抜きする(一度見たものは見ないetc…)
と言いますが、まさにそれ!

エネルギーをたくさん使う必要のある事柄は、
脳がさり気な〜く後回しにしちゃっているんです。


なので、新しいことをする時は、
脳が嫌がらないように、
目標を"1つ"とか、"少しずつ" にして、
ハードルを下げながらやることにしています(*´꒳`*)

わたしは色々な場面で、
最初からハードルを上げまくって、
途中で辛くなってしまう癖があるし、
思い付いたら一度に目一杯やっちゃう傾向があるので…
(そして燃え尽き症候群になる^^;) 
いつからか、長く続けたいことは、 
少しずつゆっくりじっくり着実に
(自分を上手くコントロールしながら)
取り組むようになりました。 


それにしても、今週は
頭の中がずっとフル稼動していて、
寝ても覚めても頭が重い…
例えるならば、大学受験前みたいになっています_:(´ཀ`」 ∠):

どうやら、無意識でも、
作品のデザインや、
制作の工程を試行錯誤してるようです。

こういう状態になるのは久しぶりかも(*゚▽゚*)

やりたいことをやっている時の
人間の力って本当にすごいですね(*≧∀≦*)!!✨


さて、今日は息抜きがてら、
スタバに登場した
飲みに行こうかな❤︎

今春は、
さくらフレーバーのお菓子や飲み物を
たくさん頂く予定です(●´∀`●) ❤︎❤︎


❤︎追伸❤︎

こちらは、去年の6月に作成した
ミニチュアいちごタルトです!
直径約2.5cm☆

チャームになって、
友人の海外赴任(アフリカ)に連れて行って貰いました(●´∀`●)  


通りかかった御宅のお庭で、
つぼみが膨らんでいる沈丁花を見つけました。

春はもうそこまで来ていますね。


春は、一番好きな季節です。

この季節を言葉で表現するなら
"生命の爆発"


自分を構成している細胞たちも
自然の一部。

春に誘発されて
エネルギッシュになります。


追伸

口にすることはありませんが、
わたしはいまでも
桜吹雪の神隠しに合うのを
密かに待ち望んでいるのです。





"理想の自分(ワクワク!)"に従って
行動や思考を選んでいくと
自然とそこにたどり着く

"うまくいっていない自分(不安)"に従って 
行動や思考を選んでいくと
自然とそこにたどり着く 

両者が歩いていく道は全く違う道

なにを前提とするかによって
見える世界も自分の選択も
全く異なってくる

考えてみれば至極当然のことなんだけど
不安でいっぱいのときはついつい
ハマってしまう罠

こういうときは兎も角
"理想の自分"をクリアにしよう!


 


花が好きな訳ではなくて
華がないと思い込んでいたから
花になりたかったとしたら

そう問うたとき
率直に出てきた言葉は

「それが正しかったとして、
私はこれからどう生きていったらいいの」だった

漠然とした不安
空虚な

時が止まったように
静かな

変わることを引き留める本能
自我の死への拒否


わたしには、
"表現する" ことが大事なのであって、
そこに付随してくる様々なことは
何ら問題にしなくても良い。

好きなこと、やりたいことだけやっていれば良い。

自分が苦手なことは、
それが心から好きで、それが得意な誰かがフォローしてくれる。


降りてきた言葉をメモ。


"他人という存在が脅威"  
なのではなくて

"他人という刺激によって  
己が己に感じている
劣等感や欠如感に気付かされるのが脅威"  が正しい

つまりは
自分自身に抱く否定が
脅威なんだってこと

それを感じたくないがゆえに
いろいろ頑張ったり
言い訳したり
他人のせいにしたりする

でもそんなことしていても
脅威は消失しない

なぜなら
自分が自分を否定していることが
脅威なのだから

本当は他人や結果など
関係ないのだから




今夜は荒川沿いを走る電車に乗っている


車両のドアが開くたび
湿気を帯びた風が香って
春の記憶を呼び覚ます

みぞおちが締め付けられるような
この切ない感覚は
わたしのインスピレーションの源だ

それはひとりで暮らしていた頃の記憶
それは呼吸が止まるような恐怖と寂しさ
それは神々しい夕暮れ
それは雨上がりの緑

すべてが瑞々しく
儚く刹那的で 美しかった


・・・曲ができるときは
大抵ひとりでいるときだ

こうして何か書きたくなるのも
ひとりのとき

なぜなのだろうとずっと考えていたが
やっと言語に落ちた

それは良い意味で
"客観を失っている"からだ

ひとりでいるとき
わたしは自分の世界にどっぷりと浸かっており
自分宇宙100%に近い状態になっている
 
その状態に入ると
閃きが走る


ある時そんな"客観を失っている自分"に
醜いナルシシズムを感じ
否定をしてしまったことがあった
すると それ以来曲が降りて来なくなってしまった

しくじった  と後から思った


自分の中にぐーっと入り込んでゆく感覚
自分の中にひたすら浸り込む時間

これは大層尊くて
極めて重要なものだ

なぜならそこに
創造の源泉があるから


わたしは酷く寂しがりで
許す限り誰かと一緒に居たいと思ってしまうのだが

今年はひとり自分のなかに入り込む時間を
大事にしようと思う

表現の核にある自分と
繋がるために


まだ小学生か中学生の頃、
周りの人と自分を比べて、
「わたしにはそれほど才能がないし、
あの人ほどの情熱もない」
という思いから、
自分はそれをやるべきではないと判断を下し、
好きだったにも関わらず
なんとなく止めてしまったことがいくつかあります。

わたしはそれらを今でもちゃんと覚えていて、
時々、楽しかった記憶を思い出すのです。


・・・というわけで、
小学生時代に特に好きだったことの一つを、
もう一度始めてみることにしました!

始めてみる、といっても大袈裟なものではなく、
独学かつマイペースで楽しみながら学んでいこう!というスタンスですが、
形になってきたらブログでもご紹介していきたいな〜と
思っています✨

(ビビりなので、形になるまでは
内容を明かせません、、、 (〃ω〃))

ああ、なんだかワクワクする!!(*´꒳`*)✨



❤︎追伸❤︎ 

LINEスタンプに、
『小さなプリンセス ソフィア』
のスタンプが登場していたので、
即購入しちゃいました(●´∀`●) !!

(深夜3時に、妹pecoへスタンプを連打するKYな姉はわたしです(^q^))

きゃー!
テキストも絵も、ほぼアニメの世界観が守られていて、嬉しい!!✨

しかもソフィアの声がたくさん聴けるぅ〜(*´꒳`*)


ソフィアを知ったのは一昨年のある日。

ディズニーが大好きなpeco&姪と一緒に
『小さなプリンセス ソフィア』のアニメを観ていた時、
そこに流れていた空気がなんだかとっても心地良くて、
わたしもソフィアが大好きになってしまったんです!😍

最初は3Dアニメというものに
違和感がありましたが、
すぐに慣れました✨

現代の子どもたちにとっては、
3Dアニメがごくごく当たり前のものなのだと思うと、
ちょっと不思議な感じがします☆


・・・ちなみに、
『小さなプリンセス ソフィア』を観ている子どもたちは、
ソフィアのようなプリンセス風の優雅な仕草が
自然と身に付くのだとか!(妹談)

そういえば、
わたしが小学校6年生の時は、
1年生の子たちが皆、
しんちゃん(『クレヨンしんちゃん』)の喋り方になっていました∑(゚Д゚)

あの現象は衝撃的だったので、
今でもはっきりと覚えています!! 


アニメの影響力ってすごいですね✨

"自然にわきあがってくる自分の欲求を
出来る限り優先していく"

これを続けることで
段々と流れが出来てくる

ひいては、自分の欲求を優先していくことが
自分の理想に向かう流れを作ることになる


日々の生活のなかで
自分の欲求を優先するって
以外に大変だ

ただ、難しいことではない
誰でも出来る

それは
自分にしか出来ない


瞬間瞬間発せられる小さな自分のトキメキに気づき
それを丁寧に掬い上げてゆく

自分に気付く
自分を繊細に扱ってあげるのだ




micaelのオーダー品にしっくりくるパーツが閃いたので、街へ。

風邪の治りがあと一歩という感じで
まだ本調子ではないからか、
人と物から発せられる情報量の多さに
ちょっとクラクラしてしまいました。


最寄り駅で本を買って、
久しぶりにひとりカフェ。

ディカフェのラテとガーベラ。
この色の組み合わせ、好き。

テーブルには花が必要だ、と
つくづく思います。

花は、生を彩る豊かさとゆとりの象徴。

エネルギーが足りないときは、
そっと花の氣を拝借するのです。



流れが自然にやって来るのを待てない時は、
自ら流れを作り出す。

流れを作り出すときは、
少しだけパワーが必要だ。

難しいことは何もない。
"面倒臭い"をエイッと越え、
行動を起こす。

そこが一番チカラのいるところで、
作り出した流れに乗ってしまえば、
後は委ねるだけだ。

もはや、

ワクワクする!とか
楽しくてやらずにはいられない!
なんていうテンションではないのだけれど、

「やり遂げたい」ことがあるのです。


わたしの決意が、意志が、
魂に刻み込まれていて、

それをやり遂げずには
死ねない、とさえ思う。


こういうものは、
やれねばならないこと ではなく、
やりたいこと  に入ります。


だから、やります。





もうすぐ2016年が終わろうとしていますね☆
みなさんにとって、今年一年は
どんな年でしたか(*^_^*)?


わたしの2016年を漢字一文字で表すと、
』です。

やらねばならない(と信じている)こと、
やりたくないことを極力削ぎ落とし、
ピコーンときたこと、
好きなことしかやらなかった一年でした。

もう少し噛み砕いて表現すると、
自分は何が好きで何が得意なのか、
何をやっていると楽しいのか、
それを自覚することにフォーカスし、
気乗りしないこと、苦手なことは
やらないように心掛けていました。

わたしにとって、
気乗りしないことや苦手なことを
しない、断る、という選択をするのは、
我慢や無理をして何か行動を起こすよりも
随分勇気の要ることです。

故に、不安になったり、焦ったりすることも多々ありましたが、
それでも今年はいつになく
自分に正直になり、自分が望む方を選ぶことができた一年だったと思います。

・・・そうやって生きていたら、
ある日ピコーン!がやってきて、
micaelのクレイスイーツが生まれました。

ミカエルが生まれて確信したんです。

「やっぱり好きなことを楽しくやっていると、
すごい奇跡が起こるんだ!
色んなことが、不思議と上手くいくんだ!
わたしはこうやって生きていこう!」って(*^_^*)❤︎❤︎


来年は、更に!自分に正直に生きていこうと思います☆



やすちゃんへの「」も、
グーンと深まった一年でした(*≧∀≦*)❤︎







誰かを見て
心乱されるのは

自分が既に持っているものを
発揮できていないからなのだと
あるとき気付いた

ポイントは
"既に持っているもの"

ここだ

自分にあるはずの何かが
ないことになっている

だから苦しいし悔しい

胸のざわつきは
それを教えてくれるサインでもある








ああ  外の世界が見えてきた
もうすぐ  手が届きそう


欠乏感や孤独は
じゅうぶん味わったんだし


もう陰を脱ぎ捨てても
いいんじゃない


望めばいつだって
向こう側に行ける






対象への気持ちが変化しただけで
見える景色が一変する

そんな不確かな世界に
わたしたちは生きている



誰かが怒っているとき
その人の怒りに対して自分も怒っていることに気付いて
ああうっかりしていたなと
反省するのだ

感情って伝染するんだよな

喜びも楽しさも
怒りも不安も


怒りには呑まれたくないなぁ
怒りという感情をもっと俯瞰できるようになりたいなぁ

そんなことをよく思う最近


旅先ではなぜかいつも
古いピアノに出会う


プラハ ミュンヘン ヴィズバーデン
ローマ ロンドン モスコ


君はわたしになにか
諭そうとしているの

それとも無意識が
見つけ出しているの


おそるおそる触れた鍵盤
指先に感じる歴史と体温


もう長らく触れていない肌にさわるような
そんな感覚


わたしの音はやっぱり
ぎこちなくかたく
ちっとも様にならない


優雅とは程遠い
これが  
この鈍い絶望が
自分を閉ざす理由だ


「それでもやりたいのか
やらないのか」


君にそう
問いかけられた気がした




世界が大きく動いている。


ならば、自分もこの流れに乗って
いっそ大きく変化してしまいたい。

きっと今はそういうタイミングで、
それが自然なことなのだろうと思った。




・・・今週、ドイツは雪の予報。
外は寒いけど、室内はとても暖かい。

セントラルヒーティングと二重窓ってすごいな。

日本でも北国ではそうなんだろうか?



そういえばわたし、

物心ついた時から、
"鉛筆の正しい持ち方"というのを無視して、
ずっと自分流の握り方をしていたんだけれど、

去年、"綺麗な字を書きたい"というペン字マイブームが起こった時に、
「なんだかんだで気になっていたから、
一度、正しい鉛筆の持ち方でペン字を練習してみようかな」と閃いて、
正しい鉛筆の持ち方で字を書くように心掛けていたら、
その時期、毎日膨大な考えをノートに書き殴っていたこともあって、
なんと2カ月で、正しい鉛筆の持ち方が身に付いた。

今では意識しなくても、
正しい鉛筆の持ち方で、ペンを持っている。

すごい。

30年近く続けてきた習慣が、
たかだか2カ月余りで修正出来ちゃうなんて。

"習慣を変える"って、
明確に決心をして、
物凄く気をつけて、
物凄く努力しなければいけない、
なんてどこかで思っていたけれど、

タイミングさえよければ、
大したエネルギーを注がなくても、
大それた決心なんてなくても、
簡単に実現できるものなんだなーと、
実感したのでした。


あ!ただ、
2カ月毎日欠かさずペンで文字を書いてはいました。

小さなことを毎日コツコツ続けると、
大きな変化になる、

それを実証した出来事でもありました。


 

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己の内側から湧き出てくるものに耳をすます

心ときめくもの 
楽しいこと 
小さな興味

まずはノイズを切って
自分の声を聴いて 


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浮かんできた感情は
その時にちゃんと正体を掴んでおかないと
どんどん巨大化して
怪物みたいになっちゃうのだ


 


「こうしたい」というイメージが先にあって、

その後、「どうすればそれを叶えられるか」
というアイディアが浮かび上がってくる。

こうしたい  という型を作ることが出来たなら、
方法が見つかるのは時間の問題。

どうすれば叶えられるのか、、、
なんて焦ったり不安になったりしなくても良い。

人間の無意識というのは、
考えられないくらい、
もの凄い能力を秘めているから。


わたしたちは、
願いを意識した時点で、
気付かないうちに、
ゴールに向かって進んでいるのだ。

一見わからないようでも、
自分の世界は、既に動き出しているのだ。

だから欲求が明確で、
かつ自分を信じてさえいれば良い。

いつ、どんな時でも
自分の"これがやりたい!"を追求していくことができたなら
どんな展開になってたとしても
絶対、プラスになる。
被害者に傾くようなこともない。

反対に、
例え相手に強く求められたとしても、
自分はこれがやりたい!を見出せない時は、
やらない方がいい。


不安になると誰かに訊いてしまう。

「わたし、これでもいいかなぁ?」って。

これでもいいよって
背中を押してほしいのだ。


なぜ他人にそれを求めてしまうかというと、
自分で自分の背中を押せないからだ。

自分で自分に「いいよ」が言えない。


なぜ「いいよ」が言えないかというと、
自分のなかに「それはダメ」だという
価値観があるからだ。

その価値観に縛られて、
OKが出せない。


価値観って、物心ついたころくらいから少しずつ形成されてきたものか、
強い情動を伴ったときに作られるものだったりするから、
覆すのが難しい。

でも本当は、
自分のものなんだから、
自分さえ許可できたら、
一瞬で変えらるものだったりする。


「わたし、これでもいいかなぁ?」
が出てくるときは、
今までの価値観から外れようとする機会が訪れているということだ。

それって、自分の価値観により幅を持たせる、すごいチャンスが来たということ。


今までの価値観もいい。
今までの価値観を外れる価値観もいい。

両方を許容できるようになれたら、
今よりもっと可能性が広がる。



なんだか、もっともっと自分をグイッと押し広げていきたいなぁと思う、
そんな今日この頃。




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自分の作りたいもの
自分のなかに浮かんでくる胸がときめくもの

それを創らなければ

わたしがわたしで生まれ
自然と”表現者”にというものに縁を感じた

その意味ないじゃん
 

自分の作りたいもの
自分のなかに浮かんでくる胸がときめくもの

それを創るのだ

 

物心ついたときから、
いつもライバルがいた。

同性で、歳が近い妹たち。

故に、
比べられること、
比べることが本当に多かった。


四六時中競争。
お母さんもおやつも取り合い。
日々ケンカ。

毎日大騒ぎだった。


ひとりっ子だったら
何でも独り占めできて
どんなによかっただろう、なんて
よく考えてた。

もっと心穏やかに、
マイペースに生きられるのにって。

この"負けるの恐怖症"的な性格も
違っていたかもしれない、と。



でも、最近たまに思う。

ライバルがいるということは、
幸せなことだったのかもしれない、と。

優劣という概念さえ持ち込まなければ、
彼女らは、
"切磋琢磨し合い、喜びを共有できる魅力的な仲間" 
なのだ。

敵ではなく、心強い仲間。

わたしには、素敵な仲間たちが、
いつも傍にいた。

そんなことに気付いた。


優劣という概念は、
仲間を敵に擦り替える。
 
自分の不安を排除するために、
優劣に縋っていたのだろうが、
仲間を敵にしてしまうのは
やっぱり勿体無い。


せっかくなら、
敵より仲間がたくさんいるほうがいい。


あの人もあの子も皆、
みんな仲間。


そう考えると、
胸が軽くなった。


何にでも  少し余白を残しておく

そうすると

そこに何を当てはめようかと

あれこれ想いを巡らすことができる

その時間がとても楽しい



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父方の祖父は今年102歳を迎える

できることなら、わたしも
1世紀まるごと世界を眺め続けたい



鼓動を感じる


生きているって
なんて不思議で
素晴らしいんだろう


この世界は
なんて美しいものが
溢れているんだろう


そして
なんて残酷なんだろう


光と影
どちらも尊い
どちらも愛おしい


生きている
生きている


嬉しい!!!!

 


自分の無意識に隠れていたもの
愚かな部分  ドロドロな部分
恥ずかしくて仕方なかったこと
怒り  恐れ  醜さ


いままで拒否していたそれらを
ただただ  手放しで受け止めたいと思う


できるだけ否定せず  批判もせず
"正しい"言葉を押し付けたりもせずに


受け止めたい
そして堂々と表現したい


とても嫌な部分だって
それが形成されるだけの理由が
必ずある


それを自分が理解してあげることこそが
一番の癒し



ぜんぶぜんぶ
わたしの大事なパーツ



見えなかった自分の一部を発見できるって
すごく嬉しい!!


それがどんなにブラックで
情けないようなことであってもね✨



☆追伸☆

・・・そんな、わたしの超!個人的なことを
綴っているこのブログを読んで下さって、
本当にありがとう



わたしという人間は
"役に立たないこと" を
とことん自分に許してこなかったのだと、
日々日々感じている。


わたしのなかで、
役に立たないこと の定義はこれだ。

1. 、(←ここがポイント)金銭を生み出さないこと
2. 多くの人に認められないこと


酷いでしょ?(笑)


すぐに金にならないことは、
無駄なこと。
多くの人(っていうのもめちゃくちゃ抽象的過ぎて怪しいが)に認められなければ
やっていても価値がないし、
自分だけの喜びも無意味。

こんな信念が、ずっとわたしの潜在意識に蔓延っていた。


芸術なんてある意味、
役に立たないことの極みみたいなもんで。

だから苦しくなってしまったんだろう、恐らく。


こんな信念を埋め込んで生きていたら、
自分は何が好きなのか、
自分は何に喜びを感じるのかなんて、
わからなくなって当然だ。


もっともっと
己の奥底にあるものを
意識化してゆこう。

そして変えてゆこう。


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自分が買った物に、
何か小さな傷があったり
汚れがあったり
歪みがあったりすると
すごくすごく気になって
お腹がぎゅーーっとして
苦しくなることがよくある。

「完璧じゃなきゃ嫌だ!!」って
泣きわめきたい自分がいる。

ああ、それって、
"物に自分を投影していたんだなー" と
ふと気付いた。

完璧な自分じゃなきゃ愛せない。
完璧な自分じゃなきゃ愛さない。
完璧じゃない自分は絶対に嫌だ!!と、

わたしは、完璧ではないわたしに
ずっと腹を立てていたんだなって。


"完璧" はもちろん美しい。
だけど
"いびつ" も味わい深い。

むしろ、いびつは魅力だ。


いびつでもいいじゃないか。
ちょっとくらい歪んでいたって
なにが問題だっていうの。
小さな傷なんて、自分以外気付かない。

完璧を保とうとしてナーバスになるのは
本末転倒だ。


ってゆーか、
完璧ってそもそも何?????

これが自然体なら、
これが完璧っていうんじゃないの?


・・・等身大の自分で改めて考えてみたら
こんな言葉が脳裏に浮かんだ。


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ああ そうか

事実がどうなのかなんて

本当にどうでもよかったのだ


事実にこだわるから

視点が違うものにすり替わってしまい

求めているものが見えない

問題はそこじゃない


わたしが求めていたのは

"自分の感覚と選択を信じること"

すなわち

"自分を信じてあげること"

それのみだ


それがわたしの無意識の目的だった

わたしは自分を信じたかったのだ


それを叶えたかったが故に

わざわざ疑い わざわざ問題を手繰り寄せ

自分を信じる機会を作っていた


・・・自信とは "自分を信じること"
と書く


そうだ これが

わたしに欠けていたもの

わたしが他人に映し出していたもの

わたしが心から求めていたもの なのだ


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